Nissan L28, The All Time Street Fighter

L28


日産L型 L28 エンジンのチューニングエンジンとしての歴史

生産が終了してからもう25年がたとうというのに、今だに新設計のレース用パーツが次々とリリースされつづけているエンジンがある。はっきり言って、特に画期的な設計のエンジンだったという訳ではないし、例えばS20のような伝説的な成績を残したレーサでもない。ただ、平凡さと頑丈さのかたまりのようなそのエンジンは、それ故にストリートチューンの素材としては絶好の条件を備えていた。

旧車雑誌の懐古的な誌面上だけでなく、現役のチューニング・エンジンとしても今だに別格の存在感を誇る日産のL型エンジン。トップクラスのLメカは、NAのレシプロエンジンのクラスでは今だに国内のドラッグシーンの主役として活躍している。ターンフロー、SOHCという現役当時でさえ、時代遅れといわれたレイアウトのこのエンジンの人気が、今だ衰えを見せないのはなぜか。そこには、ストリートに根ざした無数のチューナやプライベータ達が徹底的にこのエンジンに拘り、そのポテンシャルを追及してきた歴史があった。決して洗練された純粋培養のレースエンジンではなかったL型は、レーストラックやメーカのR&Dによって完成されたのではなく、ストリートによって見出され、ストリートで磨かれてきたエンジンだった。 L型の存在が、名機と呼ばれる他のエンジンと比較してどこか異質なのは、このアウトローな生来にある。ではストリートシーンはいかにして、この平凡なエンジンの中にそのようなポテンシャルを見出すことになったのだろうか。

何よりもまず、このエンジンは誰でも手の届くところにあった。1970年代から80年代を通じて、日産の2リッター超クラスには軒並みL型が載っかっていたから、80年代後半ともなれば解体屋のエンジン山にはL型がたわわに実っていた。ヤードの主人と懇意になれば、ただ同然の値段でベースパーツを調達することができた。一部の人にしか手に入らない特別なレース用エンジンではなく、誰もが手の届くところにある流通数の多いエンジンであることはストリート・エンジンとしての基本的な素地だった。そしてさらに、この条件に加えてL型のチューニングを面白くしたのが豊富なバリエーションとその互換性、流用可能性だった。20年近く日産のラインにのり続けたから、L型には必然的にたくさんのバリエーションが存在した。L13・L14・L16・L18・L20B・L20・L24・L26・L28・LD28、ほとんどのモデルのジャーナル径やピッチが共通化されていたことからクランクやコンロッドの自由な組み合わせが可能となり、様々な流用チューンを可能とした。

例えば、L28よりも3ミリボアの大きいFJ20のピストンとL28よりも4ミリ、ストロークの長いLD28のクランクシャフトと組み合わせ、ストロークやピン上の変更分を、リーチの長いL14コンロッドでつないでやり、ピストンのトップランドのカットで突き出し分のツジツマ合わせすれば、L28改3.1Lが完成した。日産製の純正部品の組合せ+加工だけで、こんな仕様が完成してしまうことになった。こうして日産自動車の心憎いご厚意(?)により、純正部品のかたちをしたチューニングパーツが解体屋経由で豊富に供給されたから、誰もがチューニングにトライできる素材として、L型のストリートチューニングはますます盛り上がっていった。FJピストンの他にもFT500、XT500など軽量でピン上の短い単気筒の二輪用ピストンの流用や、その後もG20ローレル、KA24プレーリ、VG30のピストン流用など、いろいろな組合せが編み出されていった。

生粋のレースエンジンが繊細なサラブレッドとするなら、ストリートエンジンに求められるのは、それとは対照的な粗野ではあるが頑丈でたくましい気質といえた。製造公差も大きく、耐久性、経済性を重視したL型は、要するにノーマルでは重くてダルいエンジンの代名詞だった。しかし、そうした公差や安全マージンを徹底的に削り取り、パフォーマンスサイドに突き詰めていくことで、このエンジンの性格は豹変した。メーカ自身がブロックのディメンションを変えずに排気量を当初の2Lから2.8Lまで40%も拡大したことをみても、このエンジンがいかに伸びしろをもった設計だったかを物語っている。ストリートチューンではここからさらに3.0L~3.2Lにボア&ストロークアップすることが定番メニュとなった。拡大した排気量でトルクを太らせ、これを基礎にバルブタイミングやカムのプロフィールを追い込んでいくことでL型は別物のエンジンに生まれ変わった。バルブタイミング、吸排気ポート形状、燃焼室形状、キャブのジェットセッティング、突き詰めるほどにそのさらに奥が見えてくるチューニングの世界に日本中のプライベータ達がハマッていった。

プライベータだけではなかった。”このエンジンいじれなかったら商売にならなかった。” このエンジンでどこまでできたかが、チューナにとっても、その技量を誇示するものさしとなっていった。 雑種のようなエンジンでサラブレッドをカモる、その辺に転がっているエンジンからメーカも想像しなかったようなポテンシャルを引き出す。日本中のプライベータや売り出し中のビルダー、チューナ達がこのエンジンのそんな可能性に夢中になった。いや、ムキになったといってもいいかも知れない。例えば、ひと気の途絶えた工業団地を貫く直線道路、湾岸沿いの埋立地や埠頭付近の倉庫地域に延びる長い長いストレート、こんな場所で週末深夜、人知れずそのチューニングの成果が競われるようになっていった。

80年代も後半になると、メーカをラインオフした時点で既に完成度の高い後発のエンジンが続々登場した。世間一般のチューニングの主流は、従ってエンジン内部に手をいれるメカチューンよりもROMチューンやターボチューンに移っていった。しかし、そんな時代にもL型チューニングの灯は消えることなく、ノウハウを蓄積してきた多くのチューナからクオリティの高い専用パーツがリリースされ、改良が重ねられていった。ターボチューンが全盛となった時代に、あえてメカチューンにこだわるLメカのストイックな存在感は当時のターボ全盛のストリートにおいても別格にクールなものがあった。チューニングのレベルは向上し、出力や記録も伸び続けたが、トップレベルの争いはとてもシビアになった。それだけコストも気合も要るものとなったが、こうして残ったトップノッチのLメカはそんな時代にあってもなお後発モデルを寄せ付けない速さを見せつけた。例えばゼロヨン会場では、Lメカがソレックスの吸気音とともにひとたびエンジンを始動し、暖気をはじめただけでも、辺りの空気は一変した。セッティングが決まったときのハイチューンのLメカの咆哮は、まるで意志を持った生き物のようだった。アクセルワークに瞬時に反応して盛り上がるキャブの吸気音とメカニカルノイズは、マシン自身までもが抑え切れない興奮を顕わにして周囲を威嚇しているかのようだった。薄暗い街灯に照らされてスタートラインにステージングするLメカが放つその硬派で不良っぽい佇まいは、辺りたちこめる生ガス混じりの排気ガスの匂いとともに、今でも鮮明な記憶として脳裏に焼きついている。

ギャラリーが増え過ぎて最低限の秩序さえも失ってしまった公道でのゼロヨンは、当然の帰結として消滅していった。しかしドラッグレースをオフィシャルなレース競技として継続的に運営・主催するクラブや雑誌は存在する。公式なレーストラックにその競技の場を移して、今のなおL型のチューニングは進化をつづけている。試行錯誤の解体屋チューン、流用ピストンの時代から、ハイクオリティの専用パーツが揃うようになった今日まで、このエンジンはストリートに根ざして、たくさんの伝説や武勇伝を残しながら、多くのプライベータやチューナの試行錯誤によって進化し続けてきた。その製造が打ち切られてすでに25年を経ようとしてもなお、進化をとめようとないこの偉大なる平凡エンジンには、日本のストリートチューンの歴史、思い出が凝縮されている。