Better Known Names PART1

愛称を持つ旧車とその由来を調べてみた。

■あだ名は人気者の証し

ブタケツ、ダルマ、クジラ、ケンメリ・・・サンマル、ニーナナ、ヨタハチ・・・旧車好きや車好きの会話では車種名ではなく型式や愛称が使われることが多い。長寿の車種・シリーズになると車種名だけではどの世代のモデルを指しているか特定できないからだ。でもそれだけではない。そこには単にモデルを区別するための記号を超えた意味や想いや歴史が込められている。特に愛称については決まった命名ルールがるわけでもなく、誰ともなくそう呼び始め、いつのまにか定着したものが多い。それだけにそのモデルの特徴や印象を喚起する絶妙なものが多く、また愛称で呼ばれる車というのは良くも悪くも人々の記憶・印象に強く残った特徴・インパクトを持ったモデルのことが多い。名車であれ迷車であれ、人々の記憶に強い印象を残した愛称で呼ばれることの多いモデルを集めてみてみえてくることとは。(ハチロク、サンマルなど型式で呼ばれているものや、エスハチ、べれジーなどモデル名を短縮してるだけのものは挙げるときりがないので省略しました。)

■スカイライン

調べてみるとスカイラインは愛称の多さでもその知名度・浸透度という点でも別格だった。しかも、こうして眺めてみると、単に人気がある、高性能というだけではなく、各世代がそれぞれ濃いキャラを持っていて、それが愛称という親愛表現につながっているように思える。ここに挙げたモデルはちょうど桜井眞一郎がスカイラインの開発を統括していた時期に一致している。こうしてみるとスカイラインでありながらも各世代が強烈な個性をもったモデルばかりであることに気づかされる。桜井眞一郎というと技術者としての才能・功績が協調されがちだけれど、車の個性を際立たせるキャラづくりの天才でもあったということに改めて気づかされる。

愛称 代表的なモデルの写真 型式 販売期間 由来?
赤バッジ  1 S54B-II 1965 – 1968 エンブレムの配色
青バッジ  2 S54A-II 1965 – 1968 エンブレムの配色
ハコスカ  3 C10 1968 – 1972 ボディ形状
ケンメリ

ヨンメリ

 4 C110 1972 – 1977 CMキャラクターキャッチコピー
ジャパン  5 C210 1977 – 1981 キャッチコピー
鉄仮面

(後期)

 6 R30 1981 – 1985 フロントマスク
セブンス  7 R31 1985 – 1990 ジェネレーションが

 

■プリンス グロリア

先進的技術やデザインを取り入れた意欲作を多く送り出しながらも、それゆえに経営面では苦戦を強いられ最終的には日産に吸収されて消滅したプリンス。そのプリンスのフラッグシップだったグロリアにも野心作多く、その特徴から愛称で呼ばれることが多い。そういえば、スカイラインももともとはプリンスのモデルだったし、桜井眞一郎もプリンス出身だった。スカイラインもグロリアも合併後廃止の方針が決まっていたが、根強い人気により存続。廃止どころかドル箱シリーズといっていいラインに成長していった。

愛称 モデル写真 型式 販売期間 由来?
ハチマキ 59 S40系 1962 – 1967 ボディ形状モールデザイン
タテグロ  64 A30系 1967 – 1971 ヘッドライト配列

 

■クラウン

1955年以来60年にわたる不動のトヨタ看板モデル。派生車種も多く、もはやひとつのブランドといっていい存在に。クラウンというと保守的で和風なイメージが強いが、攻めてた時期もあって、そんなモデルに限って印象に残ってしまうものなのか、愛称で呼ばれることが多い。でも、オニクラなんかより、現行のマジェスタなんかの方がよっぽど人相悪くないですか。

愛称 モデル写真 型式 販売期間 由来?
カンノン

ビラキ

91 S40系 1962 – 1967 前後ドアが観音開き
クジラ 96
A30系 1967 – 1971 フロントマスク(バンパー)形状
オニクラ 125
S40系 1962 – 1967 ヘッドライト・サイドマーカデザイン
ゼロクラ 109a
A30系 1967 – 1971 キャッチコピー

 

■デボネア

グロリア、クラウンときたので高級車くくりということで。クラウン、セドグロのセグメントに食い込もうと三菱が放ったモデルで、GMのデザイナを雇って描かせた本家アメリカの先進デザインを取り入れたスタイルだったが、セールス的には不発。そのせいもあってか、モデルチェンジもないまま1964年から1986年まで20年も販売されつづけ、ついたあだ名が走るシーラカンス。。。

でも実は初代センチュリーはもっと長い間(なんと30年)モデルチェンジしてなかった。それが完成度の高さの証しと映るところがセンチュリーののすごいところ。

愛称 モデル写真 型式 販売期間 由来?
シーラカンス 126 A30系 1964 – 1986 長すぎた販売期間

 

■テンロクその他

1600CCクラスをこう呼んだ時代があった。70年代、マイカーブーム、スポーツカーブームの主戦場ともなったこのクラスだが、愛称を持つモデルは以外と少ない。少ないので2000CC以下の乗用車(軽自動車以外)まとめてしまう。

愛称 モデル写真 型式 販売期間 由来?
ダルマ

(セリカ)

115 TA22 1971 – 1978 ボディシェイプ
エルビー

(セリカ)


116
TA27/RA25/28 1973 – 1978 モデル名イニシャル
銭ブル

(ブルーバード)

38
410 1963 – 1967 銭型警部パトカー
サメブル

(ブルーバード)

128
610 1971 – 1976 フロントマスク
ブタケツ

カンオケ

(ローレルHT)

 

127
C130 1972 – 1977 リアバンパーボディ形状

 

■思わず名前がつけたくなるキュートなボディ

そして忘れてはならないのが軽自動車。やはり、個性的で印象にのこる名車ぞろい。

愛称 モデル写真 モデル 販売期間 由来?
テントウムシ 123 スバル360 1958 – 1970 ボディ形状
ケサブロウ  121 K360 1959 – 1970 モデル名
水中メガネ
120
ホンダZ 1970 – 1974 リアウィンドウトリム
マー坊
122
スズキ

マイティボーイ

1983 – 1988 モデル名キャッチコピー

Still Sticky Blacktop

ヨーロッパではモータースポーツといえば紳士・貴族の高貴な趣味というイメージが定着している。一方、アメリカのレースはこのイメージとはかなり様相を異にしている。アメリカのレースはギャングや密造酒の運び屋たちの非合法なストリートレースがその起源にあり、粗野でアウトローなイメージが基本にある。NASCARにしろ、NHRAにしろアメリカのレース団体の歴史は、そうしたアウトローな世界を安全、合法的に実施できるように組織化、競技化して市民権を得ていく歴史だったといってもいい。

クルマ好き、特にアメ車好きには伝説となっている映画がある。1970年公開のアメリカ映画”TWO LANE BLACKTOP”(邦題”断絶”)。興業的には不振に終り、一部の映画好きのみに知られるカルトムービーだが、映画の冒頭はそんな非合法なストリートでのドラッグレースシーンで始まる。この冒頭シーン、むかしは日本にも地域に一か所はあった深夜の公道ゼロヨンを体験したことがある人だったら、当時の興奮がよみがえること間違いない。緊迫感というか、見る人がみたら血液が逆流するような興奮を覚えるあの独特の雰囲気が誇張なしに記録されているからだ。それもそのはず。というのも、このシーンの撮影には当時のEast LAのストリートレースを仕切っていたBig Willie率いるStreetRacersという実在のチームが参加・協力して、当時のストリートレースの様子を忠実に再現しているのだ。

で、そうはいっても1960年代70年代の話。旧き良き時代のむかし話しとノスタルジーに浸ってたら、アメリカではほとんど変わらない光景が今も懲りずに日常的に繰り広げられていました。。。醸し出す雰囲気はもちろん、レースの作法、パトカーの登場までまんま Two Lane、やはりストリートレース発祥の地、その伝統とDNAは受け継がれているということなんでしょうか。

よい子のみんなは絶対にマネしちゃだめだよ!

いいかい、絶対にだよ!

ところで 映画TWO LANEはこんな派手なオープニングとは裏腹に、その後半ではクレイジーなレースにあけくれる若者の満たされない内面を静かに描写していく。当時のニューシネマがROCKなどBGMを多用したり、衝撃的な結末を用意して主人公たちをヒロイックに演出したのとは対照的に、どこまでも続く救いのない日常とその中で繰り返される出会いと別れ、それらが登場人物たちの心情にもたらす変化を寡黙に淡々と描写していく。ニューシネマにカテゴリされながら、実はニューシネマに期待されるヒロイズムを徹底的に排除した地味い~な映画だ。そんなこともあって前評判に反して興業的には失敗に終わった映画でもある。しかし、だからこそ、派手でヤンチャで英雄的な側面だけではなく、孤独感、焦燥感や不安といった内面も冷静にとらえたロードムービーの傑作として車好き以外にも熱狂的なファンがいる映画。是非、一度は全編を鑑賞してみてほしい。

Oh! My Wonder Days

■ 絶滅してしまったんでしょうか? 愛車で青春している隣のお兄さん

昔はどの雑誌にもあった”読者投稿”。この言葉自身がなんだかもうノスタルジアですが、かつて読者投稿のコーナはプロの写真や文章には表現できないパワーを秘めていました。ホリデーオートの80年代の人気コーナ”Oh!My街道レーサー”。当時私は小学生でしたが、本物のクルマをプラモデルのように改造してしまうお兄さんたちに衝撃をうけ、このコーナだけは毎回欠かさず必ず立ち読みしてました。企業やプロが大資本を投じて製作したカスタムカーのクオリティには遠く及ばなかったはずだし、写真もピンボケ気味だったけれど、コメントや写真には何かとてもパワフルでハングリーなものがみなぎっていて、それが自分にも伝染して勇気とやる気が湧いてくる不思議なコーナでした。

■ あの時、俺は風だった。誰にでもあるはず、そんな一枚。

投稿写真、読者投稿の最大の魅力はそんな ”俺もなんかやってみよう!” ”なんかできそう” ”おれだったらもっとこうする” みたいなパワーをさずけてくれるところではないかと思います。皮肉なことにショーカーやカスタムカーのKnowHowや技術が洗練され向上すればするほど、そういう刺激を与えてくれる機会に巡り合うことは難しくなってしまったような気がします。こんな時代だからこそ、隣のお兄さんが愛車で青春している写真を世界は必要としているのではないでしょうか!。。。。ええ、とにかく、というわけで、写真とコメント投稿のできるコーナーを作ってみました!あなたやあなたの家族・友人が愛車と過ごした思い出の一コマ、青春の一コマをコメントとともに投稿してくださいませ!

名車、珍車、改造車である必要はまったくありません。あなたにとって特別な車、特別な時をきりとった写真であればフツーのクルマで全然OK、過去の写真ばかりでなく現在の愛車を思い入れポイントとともに紹介いただくのも歓迎です。思い出重視でも車重視でもかまいません。ただし、是非、写真(ファイルアップロード)+その思い入れ、思い出のコメントつきでお願いします!!

■ Oh! My Wonder Days 投稿フォーム

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■ Oh! My Wonder Days


■ すごいサイトめっけた! コバヤシタイヤ 

今日では当たり前のラジアルタイヤや3ピースのアルミホイールが登場する以前のスタイルを記録した貴重なお宝画像満載のサイトみつけました。創業1923年の小林タイヤ商会のOldtimerコーナーのページは70年代当時の超貴重な鮮明画像はもちろん、装着タイヤやホイールのサイズ・ブランドも正確に記載されていて資料性も高いすばらしいサイトです。ひっぱりタイヤやハノ字シャコタンだけが旧車のスタイルではないことを思いださせてくれます。タイヤショップの記録写真だけに、装着直後の新品ホワイトレタータイヤとアメリカンスタイルのホイールが眩しいっす!
http://www.kobs.co.jp/oldtimer/index.html

celica1600GT

cherry

enkei1

5105


■ スーパーカーブームの光と影 シーサイド物語 

”これを読むとき、知っている人は、石原裕次郎の横浜物語を、口ずさんでくれ”ではじまる小説のような回想録。スーパーカーブームに翻弄された横浜の輸入車ディーラ シーサイド とその関係者の盛衰を描いた傑作BLOG。思わず一気に読んでしまいました。ところで写真に写っている女性が誰だかわかりますか? 答えはシーサイド物語08 ”LP500Rが盗まれた!”ページでご確認ください(以下リンク)。

http://www.castel-dino.com/president/seaside_008/main.html

momoe-41


■ 生涯、軽自動車を好んだ父 

昭和40年ごろ、父が初めて手にいれた車、マツダキャロルで富士山にドライブしたときの写真です。母の記憶では軽なのに重くて、坂道でよく降りて押したそうです。父は中学の教師でしたが、通勤にはその後も軽自動車を使いつづけ、校長になっても中古のホンダZ(水中メガネ)やN360で通っていました。3年前に他界して、写真など整理していたら出てきました。ちっぽけな車なのに、得意そうに顔を出す姿が愛おしく、車が急速に普及し始めた当時の空気を感じさせます。(Fussa68)
carol


■ クルマいじりの楽しさを教えてくれたLB 

昭和60年ごろ、バイト先で撮ってもらった写真です。当時はバブル絶頂期でターボチューン・ロムチューンが全盛でしたが、なぜか私の周囲では2TGをいじっている者が多く、自分もCARBOYを読み漁り、解体屋で3Tクランクを探して2Lを組んだりしていました。

TA27

Better Known Names PART2


旧車の型式とモデルの写真付き対応早見表(仕掛中)

■ スマホの”横置き表示”に対応。イベント、スワップミートで活用しよう。

旧車やクラシックカーの場合、車種名だけではどの世代のモデルを指しているか特定できない。モデルを特定するために愛称や型式名で呼ぶことが多い。愛称を持つモデルについてはパート1にまとめたので、型式についてもまとめてみた。”専門外”の車になると型式で言われてもピンとこなかったり、型式の数字部分が同じ別の車の話だったりする。たとえば、30とか130などはフェアレディにもセドリックにも、グロリアにもあったりする。数字部分だけだとトヨタと日産でかぶっていたりもする。特にサンマルとイチイサンマルは多い。そこで、旧車の外見(写真)と型式名の一覧をつくって、なおかつ、スワップミートなどでの会話や、この車なんだっけといったときにチラとチェックできるようにスマホで見やすいレイアウトという条件で早見表と作成。写真と比べてみるには横置きが最適です。写真をクリックすると拡大表示されます。最初はエンジン他の情報も一覧にしようと思ったのですが、スマホの見易さ重視で断念。

■スカイライン

型式 代表的なモデルの写真 販売期間 備考
ALSID
ALSIS
15 1957 – 1959 X
ALSID
ALSIS-2
16 1959 – 1961 X
BLSID
BLSIS-3
17 1961 – 1963 X
BLRA-3
R21A
R21B
18 1962 – 1963 X
S21D
S21S
19 1962 – 1963 X
S50D-I
S50S-I
20 1963 – 1966 X
S54A-I 21 1964 X
S54B-II 1 1965 – 1968 X
S54A-II 2 1965 – 1968 X
S50D
S50S
S50D 1966 – 1968 X
S57D S57D 1967 – 1968 X
C10 3blue 1968 – 1972 X
C110 4 1972 – 1977 X
C210 C210 1977 – 1981 X
R30 R30 1981 – 1985 X
R31 R31 1985 – 1990 X
R32 R32 1989 – 1993 X
R33 R33 1993 – 1998 X
R34 R34 1998 – 2001 X
V35 V35 2001 – 2006 X
V36 V36 2006 – 2014 X
R35 R35 2007 - X
V37 14 2014 - X

 

■フェアレディ・フェアレディZ

型式 代表的なモデルの写真 販売期間 備考
S211  22 1958 -
SPL212  23 1960 – 1961
SPL213  24 1961 – 1962
SP310  25 1962 – 1965
SP311  26 1965 – 1970
SR311  27 1967 – 1970
S30  28 1969 – 1976
S31  29 1976 – 1978
S130  30 1978 – 1983
Z31  31 1983 – 1989
Z32  32 1989 – 2000
Z33  33 2000 – 2008
Z34  34 2008 -

 

 

■クラウン(デリバティブ含む)

50

型式 代表的なモデルの写真 販売期間 備考
RS  88 1955-1958
RS2  90 1958-1960
RS3  91 1960-1962
RS40  92 1962-1967
VG10  93 1964-1967
S50  94 1967-1971
 95
S60
S70
 96 1971-1974
S80
S90
S100
 97 1974-1979
S110  98 1979-1983
S120  99 1983-1987
S130  100 1987-1999
F10
セルシオ
 101 1989 – 1994
S140  102 1991 – 1995
F20
セルシオ
 103 1994 – 2000
S150  104 1995-2001
S150
マジェスタ
 105 1995-1999
S10
コンフォート
 106 1995-
S10
セダン
 107 2001-
JZS160
(アリスト)
 108 1997 – 2004
F30
(セルシオ)
 109 2000 – 2006
S170  110 1999-2007
S180  109a 2003-2008
S200  111 2008-2012
S210  112 2012-

 

2014 Nostargic 2 Days


 

2014 Nostalg 2 Days @Pacifico Yokohama

Feb 22nd, 23rd, 2014

有名旧車ショップが勢ぞろい

2014年2月22日23日、横浜みなとみらいの大型屋内展示場パシフィコ・横浜で開催された旧車イベント、第6回 ノスタルジック 2デイズ

国内の有名旧車ショップが勢ぞろいするインドアイベントなので業界の動向を垣間見ることができました。通常のスワップミートやカーショウと比べると各ショップがリリースした最新パーツの展示会としての性格も強く、特に今年はL型関連、日産旧車関連で各ショップのノウハウを凝縮したプロダクトの展示、リリースが目立つ内容でした。

product_page_img_big1_zoom    OS技研からは同社が30年前に自社開発した伝説のL型用の24バルブDOHCヘッド TC24Bの改良版 TC24BZ を展示。フロントカバーを外して精巧なギアトレインを露出した4気筒バージョンも同時展示、クオリティおよび技術力の高さをアピールしていました。パーツアシストのブースでは奈良のチューニングショップSPARKにて開発中の同じくL28のシリンダーブロックにRBのDOHCヘッドをセットしたエンジンがハコスカに搭載され展示されました。

L型エンジンは製造から半世紀が過ぎようという古参エンジンながら、今だに各ショップが現在進行形で新たなパーツ開発や改善にしのぎを削る過熱ぶり現役ぶりを印象づける内容でした。

チューニングエンジンばかりでなく、ストックに忠実に質の高いレストレーションをほどこされた車両も多く、地味ながら技術力の高さを感じさせる車両も多数展示されていました。

2days7product_page_img_big3_zoomproduct_page_img_big22days62days22daysproduct12days5

 

伝統美?

今回の展示車両の中でも、特に強烈な存在感をはなっていたのが水野ワークスのケンメリ。昭和街道レーサの美学ここに極まれりと。こうなるともう一種の様式美というか伝統美というか、そういう文化財的なくくりで見ていいような気がします。ケンメリもブタケツも価格が高騰してしまって、なかなかうかつにいじれるクルマではなくなって、ちょっと敷居が高くい、というか窮屈な空気も漂う中、すがすがしささえ感じました。

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Showa Wheel Bonanza Part II

 

The Pioneers of Japanese Domestic and After-market Wheels

国産アルミホイールの歴史をひも解いてみた (パートII)

 

遠州軽合金

wheel_pic1_1221[1]創業者の鈴木健次は零戦で有名な中島飛行機の浜松工場のアルミ鋳造技術者だった。終戦後、GHQ指令により飛行機製造は禁止され、中島飛行機は消滅。ゆたんぽなどの日用アルミ製品製造に転身していたが、ちょうどこのころ湯たんぽの製造技術を使ってガソリンタンクができないかと考えていた本田宗一郎の目にとまる。2輪用のアルミ部品製造を開始し、当初は成功を収めるが昭和40年には経営的に苦しい状況に陥っていた。そんなおり、取引先の米国系商社マンから、アメリカでアルミホイールが大ヒットしていて飛ぶように売れていること、製造できるメーカを探していることを聞きつける。アメリカでは1963年に不滅のド定番ホイールがほぼ一斉に発売され、マッスルカーブームとも相まって大ヒットとなっていた。

American Racing EquipmentからはTorque Thrust、ANSEN AutomotiveからSprint、そしてBell Auto PartsからはCragar S/Sがほぼ同じ時期に発売された。ヒット商品のお約束通り、大小の業者がこのブームにあやかろうと、同じスタイル(要するにコピー)のホイールをリリースし、それがまたより幅広い層(一般層)に広がっていくという循環により、市場は大変な活況を呈していた。

昭和41年、鈴木は早速試作に着手、翌年には正式な採用が決まり、量産化、輸出が開始された。 (このビジネスは大成功となり昭和45年1970には年間3万本を輸出するまでの規模に拡大し、昭和59年(1984年)現地法人設立、翌年の現地生産開始という本格的な北米進出につながっていく。)

ANSEN

いわゆるディッシュ(アメリカではスロット)の元祖。アンセン スプリント

CRAGAR65

クレーガSSはヘルメットのBELLのルーツでもあるBELL AUTO PARTSから発売された。

torquethrust

5スポークの原点でもあり、アルミホイールの原点でもあるAREトルクスラスト。

kaigyou

そして、昭和43年いよいよ国内でも販売が開始された。当初はカー用品を扱うヤマコのチャネルでシルバースターというブランドで発売されたが、同年7月からはエンケイブランドでの販売も開始された。アンセン・スプリント タイプのディッシュ、アメリカンレーシング・トルクスラスト タイプのスポークに加え、翌年にはこれにメッシュが加わった。ここまでの経緯でお気づきの方もいるだろう。 どうしてほとんどの国産車が4穴の中であえて5穴のスポークホイールがラインナップされたのか?それは北米輸出モデル(北米はほとんどが5穴)を国内向けにリリースしたためだったのだ。(ディッシュやメッシュはセンタのサークル部分のドリルピッチを変えれば容易にボルトパターンを変更できたが、スポークはスポークデザイン自身を変えないと変更できず、それには専用の別の鋳型を新たに作らなければならなかった。)

ENKEI73AD

1973年 CAR GRAPHIC ADS

周知の通り、これらのホイールはデザインにおいても、品質においてもその後の国産アルミホイールのデファクトとなっていく。70年以降はメッシュタイプなどを中心にあらゆるスタイルのホイールをカバーし、国内外の主要自動車メーカへのOEM供給からF1へのホイール供給まで手がける世界のトップブランドへの飛躍を遂げていった。

Appliance75

1974 Appliance Wheel Ad on US Magazine

さて、エンケイが輸出したホイールに関連して、アメリカのホットロッダー達のスレッドで話題になっているビンテージホイールがあったので紹介させていただく。無数にあるトルクスラストのコピーブランドの中にAPPLIANCEというのがあるのだが、このホイールの裏にはJAPANの刻印がある。そして、コピー品なのにクオリティがやけに良い。知っているコピーもんの中ではずば抜けてるし、下手したら本物よりいいかも?と話題に。すると、昔そのAPPLIANCEにいたという人物がスレッドに入ってきて ”そりゃそうだよ。エンケイがアメリカに進出するまえに作ってたホイールだもん。進出前の腕試しだったんじゃね?” とたねあかし。一同納得。

 

 

RSワタナベ

RS8昭和43年の春、エンケイのホイールが国内で販売開始されたほぼ同じ時期、もうひとつ別のアルミホイールが販売を開始していた。ザラザラとした鋳肌の砂地もそのままに、ひたすら機能美に徹した8本スポークはガンメタに塗装されるかあるいは鋳物そのままのベアで購入することができた。ピッチやPCDもきめ細かく指定することができ、明らかにレースユースを念頭においたそのデザインは、その印象どおり、多数のレース車両作成とレース参加経験から導かれたモノだった。翌年には純レース用ホイールとして本物のマグネシウムホイールを販売したり、自社の鋳造工場を有し独自の工程管理を行うなどコダワリを貫いてきたRSワタナベの8スポーク。watanabelogo昭和51年には8本スポークのいさましいイメージもそのままの4本スポークや5本スポーク(5穴)もリリースされた。が、これはさすがにマニアックに過ぎたか、今では入手困難(めちゃほしいっす!)。そして80年代、走り屋と呼ばれ、夜中峠道をしゅるしゅるいわせながら走り回っていた人たちはみんなこの8本スポークを履いたのだった。逆にいうと、この8本スポークを履くと、どんなクルマでも硬派な走り屋っぽく見えてしまう魔法のホイールだった。

かようにレースイメージの強いいさましいブランドでレース用スポーク一筋かと思いきや、80年代にはメッシュタイプやディスクタイプのホイールを販売したこともあった。(おっとっと)。ところでワタナベのロゴマークは三羽の鶴をかたどったもので、和をモチーフにしたクールなデザインだなと思ってたら、これはワタナベ本社のある鶴見(鶴三)にちなんだ(ダジャレともいう)デザインなのだそうだ。おちゃめ。

watanaberare

今となってはレアな8スポーク以外のワタナベ。FALCON TURBO (Left) RACING (Right)

スピードスター

20134205759CxjIw[1]創業者濱田政信自身のレース経験やニーズから開発されたという点ではワタナベやハヤシなどのサーキット由来のホイールと共通なのだが、スピードスターがすごいのはそのずば抜けたオリジナリティだった。デザイン、構造、そして製造工法いずれも独自の着想に基づき開発され昭和46年(1971)5月から販売された。鍋の製造工法に着想を得て、1ピースが基本の時代に3ピース構造のスピードスターマークI、マークIIを立て続けに発売。その後もシリーズ化、圧倒的な軽さとコストパフォーマンスを誇り、サーキットを席巻した。その後も積極的なレース参戦によるデータ蓄積と開発へのフィードバックによりシリーズは進化を続け90年代には半溶解鍛造という独自工法での鍛造ホイールの量産に成功している。初代のスピードスターシリーズはそういったレーサーエッジのイメージもあってか、サーキットの外でレーシング(ただし漢字表記になる場合が多い)を名乗るヤング達にも人気を博した。人気ホイールの宿命として、無数のコピーキャットが群がり、そこから”スーパースター”が生まれたりもしていた(リスペクトもほどほどに)。冗談抜きで70年代後半から80年代にかけてのホイールデザインに大きな影響を与えた。2005年、倒産により一時販売が途絶えたが、総合パーツメーカのタナベが買収しスピードスター、SSRなどのブランドのままに製造・販売が継承・再開されている。

kaigyou

speedstar

スピードスターの2ピース、3ピース構造はセンターのディスクでデザインのバリエーションをつけやすいためか、70年代後半には本家もかすむ勢いで有名無名、大小様々なブランドが追従。ホイールボナンザの幕開けを告げた。

kaigyou

ハヤシレーシング

hayashi

実際2輪用のキャストホイール Street Cycle もハヤシレーシングから販売されていた。

hayashistreet創業者の林将一は60年代から本格的なレースマシン・フォーミュラーカーの開発を手がけ、69年の日本グランプリに向けて製作したマシン(カーマンアパッチ)のために専用のアルミホイールを開発。これをストリート向けにリファインして73年、ハヤシストリートとして発売した。その後も本格的なレースカーのコンストラクションを本業とし、日本のレース界の人材育成・振興に貢献してきたがレースカー開発事業は1985年に東京R&Dに売却された(ホイールの販売は継続)。ハヤシストリートはそのデザインが黄金期の国産ロードバイクのキャストホイールを彷彿とさせるとこがあるせいか、なんというか乗っている人もクルマも、少しトッぽくて、言ってみれば先輩のケンメリが履いていそうなホイールだった。

kaigyou

YAYOIこの辺のイメージはハヤシレーシングのレース活動、デザインに加えて、弥生とかHARTなどのちょっとカルトな麗心愚系ホイールとの血縁関係から来ているのではないかと思う。1981年、ヤングなオートをフューチャーした極めて明確なメッセージとポリシーをもった雑誌が創刊された。この雑誌を中心にテクノプロジェクトという販売元からTRV、弥生、ファントムといったホイールが発売されたが、当時はそれほど売れず、数年で廃盤となった。

近年、伝統を重んずる団体(チームともいう)を中心にヤングなオートを忠実に再現し、その様式を文化として再評価する動きが活発化すると、その中でこれらのインディーズ系ホイール、中でもナショナリズムをくすぐるネーミングとデザインの弥生への人気がそのミステリー性とあいまって急上昇し、流通数の少なさから中古品相場が急騰した。製造を請け負っていたハヤシレーシングから再販されたことで相場は沈静化?したけれど、近年再評価されたホイールの典型例。TECHNOやHARTといったカルトホイールもほぼこれと同じパターンでインディーズ系?の販売ブランドから発売され、ハヤシレーシングが製造を請け負って一時期販売されていた。見るからに重量感のあるワンピースとインディーズブランドの醸し出すカルト性という点で、シャドー、ビルボなどとともに独特のハードコアなジャンルを形成している。

近年、弥生のデザイナーだった凡十郎さんが当時のいきさつについて興味深い回想を語っている。曰く、弥生のデザインはテクノレーシングというチームからの依頼で、弥生というのはそのチームリーダの奥さんの名前だったそうな。なるほど、それで弥生いのちなのか。

で、ホイールはそんなに売れなかったけど、ステッカーはやたら売れたとも。確かに、あの赤いステッカーと加工鉄チンは街道レーサーを自任するヤング達のアイコンだった気がする。(ってホイール弥生じゃねーのかよ!)

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そして、ホイールボナンザが始まった

こうして老舗ブランドのホイールが60年代末から70年ごろにかけて大ヒットすると、OEMメーカ、タイヤメーカ、自動車メーカといった大資本から、インディーズ系、カルト系企画ブランドまで、有象無象がこのブームにあやかるべくアルミホイールの販売に乗り出した。さらなる経済成長やバブルにつながっていく高級志向とも相まって、70年代後半から80年代前半の自動車雑誌の広告欄はこうした追従ブランドの製品とビビッドなキャッチコピーでを埋め尽くされることになった。そんなブームの渦中で、大真面目で考え出され、生み出され、そして消えていったブランドや迷キャッチコピーや企画広告を今あらためて見直してみると、これまたとても味わい深く、なぜか元気と勇気が湧いてくる。機会があれば、そのあたりについてもまとめてみたいけれど、何分爆発的に品種が増えている上に、謎めいたブランドも多くて、どこから手をつけていいやら。

 

 

Nissan L28, The All Time Street Fighter


日産L型 L28 エンジンのチューニングエンジンとしての歴史

生産が終了してからもう25年がたとうというのに、今だに新設計のレース用パーツが次々とリリースされつづけているエンジンがある。はっきり言って、特に画期的な設計のエンジンだったという訳ではないし、例えばS20のような伝説的な成績を残したレーサでもない。ただ、平凡さと頑丈さのかたまりのようなそのエンジンは、それ故にストリートチューンの素材としては絶好の条件を備えていた。

旧車雑誌の懐古的な誌面上だけでなく、現役のチューニング・エンジンとしても今だに別格の存在感を誇る日産のL型エンジン。トップクラスのLメカは、NAのレシプロエンジンのクラスでは今だに国内のドラッグシーンの主役として活躍している。ターンフロー、SOHCという現役当時でさえ、時代遅れといわれたレイアウトのこのエンジンの人気が、今だ衰えを見せないのはなぜか。そこには、ストリートに根ざした無数のチューナやプライベータ達が徹底的にこのエンジンに拘り、そのポテンシャルを追及してきた歴史があった。決して洗練された純粋培養のレースエンジンではなかったL型は、レーストラックやメーカのR&Dによって完成されたのではなく、ストリートによって見出され、ストリートで磨かれてきたエンジンだった。 L型の存在が、名機と呼ばれる他のエンジンと比較してどこか異質なのは、このアウトローな生来にある。ではストリートシーンはいかにして、この平凡なエンジンの中にそのようなポテンシャルを見出すことになったのだろうか。

何よりもまず、このエンジンは誰でも手の届くところにあった。1970年代から80年代を通じて、日産の2リッター超クラスには軒並みL型が載っかっていたから、80年代後半ともなれば解体屋のエンジン山にはL型がたわわに実っていた。ヤードの主人と懇意になれば、ただ同然の値段でベースパーツを調達することができた。一部の人にしか手に入らない特別なレース用エンジンではなく、誰もが手の届くところにある流通数の多いエンジンであることはストリート・エンジンとしての基本的な素地だった。そしてさらに、この条件に加えてL型のチューニングを面白くしたのが豊富なバリエーションとその互換性、流用可能性だった。20年近く日産のラインにのり続けたから、L型には必然的にたくさんのバリエーションが存在した。L13・L14・L16・L18・L20B・L20・L24・L26・L28・LD28、ほとんどのモデルのジャーナル径やピッチが共通化されていたことからクランクやコンロッドの自由な組み合わせが可能となり、様々な流用チューンを可能とした。

例えば、L28よりも3ミリボアの大きいFJ20のピストンとL28よりも4ミリ、ストロークの長いLD28のクランクシャフトと組み合わせ、ストロークやピン上の変更分を、リーチの長いL14コンロッドでつないでやり、ピストンのトップランドのカットで突き出し分のツジツマ合わせすれば、L28改3.1Lが完成した。日産製の純正部品の組合せ+加工だけで、こんな仕様が完成してしまうことになった。こうして日産自動車の心憎いご厚意(?)により、純正部品のかたちをしたチューニングパーツが解体屋経由で豊富に供給されたから、誰もがチューニングにトライできる素材として、L型のストリートチューニングはますます盛り上がっていった。FJピストンの他にもFT500、XT500など軽量でピン上の短い単気筒の二輪用ピストンの流用や、その後もG20ローレル、KA24プレーリ、VG30のピストン流用など、いろいろな組合せが編み出されていった。

生粋のレースエンジンが繊細なサラブレッドとするなら、ストリートエンジンに求められるのは、それとは対照的な粗野ではあるが頑丈でたくましい気質といえた。製造公差も大きく、耐久性、経済性を重視したL型は、要するにノーマルでは重くてダルいエンジンの代名詞だった。しかし、そうした公差や安全マージンを徹底的に削り取り、パフォーマンスサイドに突き詰めていくことで、このエンジンの性格は豹変した。メーカ自身がブロックのディメンションを変えずに排気量を当初の2Lから2.8Lまで40%も拡大したことをみても、このエンジンがいかに伸びしろをもった設計だったかを物語っている。ストリートチューンではここからさらに3.0L~3.2Lにボア&ストロークアップすることが定番メニュとなった。拡大した排気量でトルクを太らせ、これを基礎にバルブタイミングやカムのプロフィールを追い込んでいくことでL型は別物のエンジンに生まれ変わった。バルブタイミング、吸排気ポート形状、燃焼室形状、キャブのジェットセッティング、突き詰めるほどにそのさらに奥が見えてくるチューニングの世界に日本中のプライベータ達がハマッていった。

プライベータだけではなかった。”このエンジンいじれなかったら商売にならなかった。” このエンジンでどこまでできたかが、チューナにとっても、その技量を誇示するものさしとなっていった。 雑種のようなエンジンでサラブレッドをカモる、その辺に転がっているエンジンからメーカも想像しなかったようなポテンシャルを引き出す。日本中のプライベータや売り出し中のビルダー、チューナ達がこのエンジンのそんな可能性に夢中になった。いや、ムキになったといってもいいかも知れない。例えば、ひと気の途絶えた工業団地を貫く直線道路、湾岸沿いの埋立地や埠頭付近の倉庫地域に延びる長い長いストレート、こんな場所で週末深夜、人知れずそのチューニングの成果が競われるようになっていった。

80年代も後半になると、メーカをラインオフした時点で既に完成度の高い後発のエンジンが続々登場した。世間一般のチューニングの主流は、従ってエンジン内部に手をいれるメカチューンよりもROMチューンやターボチューンに移っていった。しかし、そんな時代にもL型チューニングの灯は消えることなく、ノウハウを蓄積してきた多くのチューナからクオリティの高い専用パーツがリリースされ、改良が重ねられていった。ターボチューンが全盛となった時代に、あえてメカチューンにこだわるLメカのストイックな存在感は当時のターボ全盛のストリートにおいても別格にクールなものがあった。チューニングのレベルは向上し、出力や記録も伸び続けたが、トップレベルの争いはとてもシビアになった。それだけコストも気合も要るものとなったが、こうして残ったトップノッチのLメカはそんな時代にあってもなお後発モデルを寄せ付けない速さを見せつけた。例えばゼロヨン会場では、Lメカがソレックスの吸気音とともにひとたびエンジンを始動し、暖気をはじめただけでも、辺りの空気は一変した。セッティングが決まったときのハイチューンのLメカの咆哮は、まるで意志を持った生き物のようだった。アクセルワークに瞬時に反応して盛り上がるキャブの吸気音とメカニカルノイズは、マシン自身までもが抑え切れない興奮を顕わにして周囲を威嚇しているかのようだった。薄暗い街灯に照らされてスタートラインにステージングするLメカが放つその硬派で不良っぽい佇まいは、辺りたちこめる生ガス混じりの排気ガスの匂いとともに、今でも鮮明な記憶として脳裏に焼きついている。

ギャラリーが増え過ぎて最低限の秩序さえも失ってしまった公道でのゼロヨンは、当然の帰結として消滅していった。しかしドラッグレースをオフィシャルなレース競技として継続的に運営・主催するクラブや雑誌は存在する。公式なレーストラックにその競技の場を移して、今のなおL型のチューニングは進化をつづけている。試行錯誤の解体屋チューン、流用ピストンの時代から、ハイクオリティの専用パーツが揃うようになった今日まで、このエンジンはストリートに根ざして、たくさんの伝説や武勇伝を残しながら、多くのプライベータやチューナの試行錯誤によって進化し続けてきた。その製造が打ち切られてすでに25年を経ようとしてもなお、進化をとめようとないこの偉大なる平凡エンジンには、日本のストリートチューンの歴史、思い出が凝縮されている。

Showa Wheel Bonanza Part I


The Pioneers of Japanese Domestic and After-market Wheels

国産アルミホイールの歴史をひも解いてみた

なんだかんだいって、車の中で最も重要なパーツはホイールだと考えている人は多い。極端なケースでは履きたいホイールがあって、それに合う車を探して選ぶ人さえいる。人間で言えば靴のようなもので、うわものをどんなに決めても、中身がどんなに偉かろうが、そこんとこでやっちまっていると全て台無しに。。。ホイールとそれに合わせるタイヤサイズやフェンダーとのギャップのキメかたで、オーナのスタイル、コダワリの深さ(浅さ)、価値観までも伝わってしまうと言う恐ろしいパーツだ。チョイス次第ではクルマとそのオーナのキャラまでも全く違って見えてきてしまう決定的なパーツ、ホイール。それを逆手にとって、ミーティングの内容やその時の気分でホイールを付け替えて楽しむ、という強者もいる。そういう人どうしの会話になると、逆にアリだ、とか、一周半回って今は無しだ、とかもうよく意味のわからない、尽きることのないホイール論争が続くのだ。そんな、コアなオーナ達を熱くさせるホイールについて調べてみたら、いろいろと面白いエピソードと世界がかいま見えてきた。ひとつのホイールを選んで履いた姿に、そのホイールの歴史やストーリまでも重ね合わせて見ることで、その佇まいはさらに深みをましていく。旧車を趣味とすることの面白さはと深さは、そんなところにもあるんじゃないかと改めて思う。

我が家にマイカーがやってきた2000GT

昭和40年代、日本列島は高度経済成長に湧いていた。東海道新幹線開通、東京オリンピック、大阪万博、気がつけば昭和43年にはドイツを抜いてGNP世界第二位となり、いわゆる平凡な中流家庭にも”豊かさ”をわかりやすくカタチにした製品がいきわたりつつあった。中でもこの時期に爆発的な普及をみたのがマイカーとカラーテレビだった。それは生活を便利にしたのはもちろん、衣食住足りた日本国民に、そのさらに先に広がっている”すばらしき”世界があること、つまり娯楽、そしてさらなる贅沢の追求という新たな欲望を喚起したのだった。 その欲望を具現化するかのように昭和40年、東京モーターショウではトヨタ2000GTのプロトがツイッギー付きでお披露目された。42年から本当に販売が始まり翌々年までにはハコスカGTRやフェアレディZ(S30)も発売された。やがてヒーロー達にふさわしいステージも用意される。同年には東名高速が全線開通、鈴鹿サーキットが昭和37年、富士スピードウェイも昭和41年オープンをむかえる。鈴鹿では早速、戦後初めてとなる自動車レース、第一回日本グランプリが開催され、20万を超える観衆がつめかけたりしていた。環八沿いには自動車用品を扱うカーショップが次々にオープンした。クルマを娯楽の対象として、あるいはステータスやスタイルの表現手段として楽しむ時代の幕開けだった。

国産アルミホイール誕生前夜

昭和38年(1963年)の第一回日本グランプリ開催の時点では、まだ国内でアルミホイールを製造できる者はなかった。ワークスのレース車両でさえ、スチールホイールをカットして円筒を溶接してワイド化したいわゆる加工ホイールで戦っていた。この技術を今に伝承する鎌ケ谷ワイドホイールのみならず、当時はレース用ホイールの定番として流行。東名自動車(現東名パワード)の最初の製品も加工ホイールだったという。この流れにのり、TOPYや中央精機といった純正OEMメーカーがアフターマーケット用に最初から太リム幅のスチールホイールやメッキホイールを供給しはじめ人気を博した。(そう、ワイド鉄チンの中には加工モノではなくてTOPY純正?のものもあるんです!!)中央精機のメッキホイールはエルスターと名付けられ、パラマウント・WEDSから販売された。ワイドホイールやメッキホイールはアルミホイールの普及後も価格が低かったことから並行して存在したが、70年代後半には姿を消していった。エルスターのヒットはレース需要だけではないアクセサリとしてのカスタムホイール需要の高まり、つまりドレスアップパーツとしてのアルミホイール需要のポテンシャルを示していた。量産アルミホイール登場の機は熟していた。

 

黒船来航

第一回日本グランプリでは海外の本格的なレースカー10数台が招待参加した。走行はエクシビジョンに近いものだったが、その足元と固めていた専用マグネシウムホイールに国内レース関係者はカルチャーショックを受ける。資金力とコネのあるレースチームは輸入規制をかわして高価な輸入ホイールを手に入れ、誇らしげに装着するようになった。ワークス系では中央精機がホンダに、神戸製鋼が日産にレース用のマグネシウムホイールを試作・製作し、製鋼はトヨタ2000GTの純正マグネシウムホイールも製作した。プライベートのコンストラクタのなかにも、独自にアルミやマグネシウムホイールの開発をすすめる者が現れた。林将一(ハヤシレーシング)、渡辺俊之(RSワタナベ)、濱田政信(スピードスター)、田中弘(ヒーローズレーシング)、後にアルミホイールの老舗ブランドとなるこれらコンストラクタ達が昭和43年(1968)前後までにはレース用のアルミホイール製作に成功していた。しかし、国内で初めてアルミホイールの製造に成功したのは、ここに挙げたコンストラクターでもないし、資金力にものを言わせたメーカー・ワークス系でもなかった。その企業は静岡にあり、それまではレースとも自動車とも無縁で、二輪用アルミ部品をホンダやヤマハに納めていた。正式な会社名は遠州軽金属といったが、地元や関係者は省略してこう呼んでいた

エンケイ。

ホイールメーカとなることを運命づけられていたかのようなこの愛称は後に同社の正式社名となる。(パートIIに続く)

Vintage Tire


タイヤチョイスに現れる旧車こだわり度

車のパーツの中で最も重要なパーツは?と聞かれたら何と答えますか。
見方によっていろいろな答えがありえますが、タイヤと答える人は少なくないと思います。
1トンからの荷重を支え、あらゆる天候下・路面状況でエンジンの加速を路面に伝え、
ステアリングの横Gに耐え、いざというときの制動(ブレーキ)の性能を左右するのも最終的にはタイヤです。


■ こだわりのチョイス

最近では燃費や騒音(静音)といった多面的な性能要件も加わりました。
しかし、タイヤは性能面での重要性だけでなく、車全体のビジュアルに与える影響においても非常に重要なパーツです。
特に旧車やアメ車においては、タイヤやホイールのチョイスは、その車の性格やスタイルの表現手段であり、
そのチョイス次第でオーナーのキャラさえも伝わるといっても過言ではありません。
また1970年代から徐々に定着してきた北米仕様を用いたレストレーションなどもキャラが際立ちます。

ストックに忠実なレストレーション、現代的なアップデート、カスタマイズを施したプロツーリング、
昭和の街道レーサーゆかりのスリックタイヤなど、あらゆるスタイルや表現方法があります。
一般の人にとってはどれも黒くて丸い同じようなものでも、そのサイズやホイールのチョイスで、
車の性格や印象は一変してしまいます。スタイルにこだわって車に乗るなら、タイヤだってスタイルは無視できません。

■ タイヤとホイールのこだわり

人気の旧車やアメ車の黄金期、1960年代末から50年近く、この間タイヤの性能は飛躍的に進歩しました。
しかし、車は当時のタイヤ装着を前提に設計されているので、不用意に現代的な高性能タイヤを装着すると車に過度の負担を強いたり、
乗り心地を損ねてしまうこともあります。

ところが、近年のホイールの大径化により旧車の純正サイズのタイヤの入手はなかなか困難になりつつあります。
違和感は感じていても、他に選択肢が無いという消極的な理由で”しかたなく”現代的なタイヤを履いているオーナーも多いのではないでしょうか?

仮に同じサイズのタイヤが見つかったとしてもトレッドパターン(溝の形状)やサイドウォール、
ショルダー部分のデザインは当時のスタイルとはかなり趣きを異にします。見た目的にも旧車の味を損ねてしまう点も否定できません。

特に60年代当時のラジアルタイヤはほとんど普及しておらず、大半はバイアスタイヤと呼ばれるクラシックな形状のタイヤを装着していたのですが、
このタイヤがクラッシクカーらしさの印象の大きな要素にもなっているのです。

クラッシクカーやビンテージカーの厳密なレストレーションにおいては、使用するパーツの時代考証にも厳格で、
最近では車の生産年と使用パーツの生産年との整合性にも気を配ることは、常識となりつつあります。
オリジナルのストックに忠実に再生されたクラッシクカーに、現代的なブロックパターンのロープロファイルタイヤでは、
せっかくの精密なレストレーションも台無しにしてしまいます。

■ 60年代、70年代のスタイルのタイヤ

しかし、タイヤはゴム製品になります。ボディのパーツなどと違って、使用可能な当時モノを見つけるのは至難の業です。
でも、あるところにはあるんです!実は自動車文化の先進国アメリカやイギリスでは、そうしたクラッシクカー専用に、
当時の金型を使ったタイヤが現在でも生産・供給されているのです。
英国ダンロップ、ピレリ、エイボン、アメリカではファイアーストン、グッドイヤー、M&H、BFグッドリッチといった、
名門タイヤメーカの60年代、70年代のスタイルのタイヤが現在でも生産されているのです。

上級者になるとサーキット、ショウやミーティングでの展示・撮影用と用途に応じて、
タイヤやホイールのチョイスを変えて楽しむ、という方も多くいます。写真などでは分かりにくい場合もありますが、
やはり旧車には当時のデザインのスタイルのタイヤが良く似合います。ショーなどで実際に目にすると、
タイヤのトレッドやサイドウォールのデザインが車全体の雰囲気や佇まいに、大きな影響を与えることに気が付きます。


Kyusha.netのオークションや紹介ショップでは、こうしたビンテージカー用のタイヤをお取り扱い販売しております。
時代考証により忠実な旧車スタイルを求めている方、旧車や輸入車本来の雰囲気を大切にしたいと考えておられる方、
ぜひ一度チェック、相談してみてはいかがでしょうか。
また新品の商品などもあり、日産純正新品 240Z, ダッツンコンペ用DATSUNロゴホーンパッドなどもございます

To Be a Kyusha Owner


旧車を購入する際の心配ベスト3

最新のハイテクな機能を搭載した車ではなく、あえて旧車に乗っている方がたくさんいます。
旧車には、新しい車には無い特別な魅力がたくさんあり、ボロボロになった旧車をレストアして乗っている方もいます。
中高年から若い世代まで様々な世代にファンがいる旧車ですが、旧車を購入するためには、いくつか注意点があります。
ここでは、初めて旧車を購入する際の心配ベスト3を紹介します。


1.古いので壊れるのではないか

車は新旧問わず、消耗部品のかたまりのようなものです。
消耗したパーツの交換を怠れば、最新のモデルであっても不具合を生じる可能性が高くなります。
逆にどんなに古い車でも、こうしたメンテナンスがしっかりされていれば、現代の車より壊れやすいということはありません。
むしろ古い車は構造も単純で、必要以上に頑丈に作られているとこも多いのです。
構造が単純な分、自分でメンテナンスして楽しむ、不意の故障でも応急措置でしのげるなど利点も多いです。
またエンジンやボディの剛性は古い車の方が頑丈にできており、ボディパネルの鋼板は1.5倍、エンジンの肉厚もオーバーホール用に肉厚に作ってあります。

2.整備のためのパーツが手に入らないのではないか

旧車で人気のある昭和40年代(1970年代)の車になると、製造から40年以上経っているので、メーカーではパーツ供給がないのではと考える方が多いと思います。
しかし、エンジンやブレーキなどの重要部分の交換部品については、今でもメーカーでパーツ供給されているものが多いです。
実は古い車のエンジン・ブレーキ・ライトなどの部品は共通部品が多く、その分手に入りやすいという側面もあるのです。

車種ごとに異なるボディやインテリアのパーツは、さすがに新品のメーカー供給は期待できませんが、最近ではオークションや旧車イベント・部品交換会が数多く開催されるようになっており、そうした場所でお目当てのパーツを探す宝探し的な楽しみも旧車の面白さの一つです。
またハコスカやZなどの人気の旧車の場合、専門店からつぎつぎに製造廃止パーツの復刻がされています。
Kyusha.netのオークションや紹介ショップでもこうしたパーツを入手できます。

3.整備やメンテナンスはどうすればいいのか

構造が単純とはいえ、確かに旧車はいまどきの電子制御された車とは基本的に整備やメンテナンスのポイントが異なっているので、ディーラや一般の整備工場で古すぎてメンテナンスできない、と言われるという話を聞きます。
しかしこの場合の”できない”は、”扱っていない”という意味のことが多いのです。
現行車では、車修理や整備のコンセプトが、システム化されているので修理というよりは交換、板金するよりパネル交換、という対応が一般的なので、現行車を扱う工場ではキャブ調整や板金といった作業のノウハウのない場合も多くなっています。

しかしKyusha.netで紹介しているような旧車を専門に扱っているショップであれば、専門のノウハウやパーツ調達ルートでメンテナンス可能で、多くの旧車に特化したノウハウを蓄積していて対応してもらうことができます。
つまり相談するお店を正しく選ぶことが大事になります。
また冒頭に挙げたように構造がシンプルなので、自分でメンテナンスやチューンアップすることが可能なことも旧車の大きな魅力です。
このためのノウハウやパーツ、工具、ガレージ用品などもKyusha.netのオークションやショップで取り上げていますのでぜひご活用ください。


車好きなら、一度は旧車に憧れると思います。
旧車が欲しいと思った時は、これらのポイントを押さえて旧車を選びのご参考にしてください。
旧車と聞くとアメ車をイメージする方が多いと思いますが、日産などの国内メーカーにも素晴らしい旧車がたくさんあるので、色々なメーカーの車をご自身の目で探すのも楽しめるかと思います。

 

Snap On


スナップオンの歴史

■ 車が大好き

自動車には様々な楽しみ方があります。
主に運転が好きな人と、整備やカスタマイズが好きな人に分かれるのではないでしょうか。
もちろんどちらも同じくらい好きという人もいらっしゃることでしょう。
自動車の発明以来、世界中でたくさんのファンを増やしてきました。
愛車でドライブするのも楽しいものですが、自分だけのプライベートスペースや個性を発揮する場にもなる車をカスタムするのにも、たまらない魅力があります。

特にマニアックな車好きを虜にしているのが旧車です。
旧車を整備したりカスタマイズしたりするためには、専門のツールやパーツが必要になってきます。
専門店でも取り扱っていないような希少アイテムを購入する場合は、オークションサイトなどを上手に活用すると良いでしょう。
旧車の整備やカスタマイズに必要な自動車工具の有名ブランド、スナップオンの歴史について紹介します。

■ アイデア

現在では130カ国以上のから大きな信頼を得ている自動車工具ブランドは、ひとりの青年のアイデアによって誕生しました。
1920年代のアメリカは「狂騒の20年代」と呼ばれ、経済政策の発展に伴い、人々の暮らしも経済もどんどん活気付いてきました。
そんな中、T型フォードの量産型車が生まれたことで、自動車産業が目覚しく発達していきます。
新車・中古車・輸入車など、様々な車が走るようになると、それだけ整備の需要が増えます。
自動車を整備するためのツール(工具)は、ネジの種類や箇所によってサイズや形がバラバラで、それぞれに合ったツールを用意するとなると、膨大な数になってしまうことが利便性に欠けているとして、整備士の頭を悩ませていたのです。
グラインダー製造会社に勤務するジョセフ・ジョンソンという青年は、「少ないツールで多くの作業ができないか」という発想で、レンチのソケットとハンドルを分解するというアイデアを出しました。
それこそが、世界最大の自動車工具メーカー「スナップオン」の代表商品となるインターチェンジャブルソケットレンチのはじまりなのです。

■ スナップオン社の誕生

このアイデアを形にして販売することを決めたジョセフ・ジョンソンは、「5本で50の仕事をする」というキャッチフレーズで、商品の販売を始めました。
メカニックの購買意欲を刺激する商品販売戦略を持って、アメリカ経済低迷期にもどんどん売上を伸ばし、海外進出や工場の増設を果たすのです。
1960年には、米軍の依頼により「フランクドライブ・レンチシステム」を開発し、以降のボックスソケットやレンチなどにその技術を取り入れたことで高く評価されます。
この技術は特許を取得し、当時では画期的で実用的な商品として大きな支持を受けました。
名実ともに世界に名を知らしめたスナップオンは、現在でも多くの自動車工具ユーザーから高い支持と人気を得ているのです。

■ フランチャイズ展開

プロフェッショナル仕様で、日本で販売されている自動車工具とは値段も品質も異なるスナップオンの製品は、現在では通販で購入することもできます。
世界に拠点や工場を開設し、時代の流れとともに通販の需要が高まりました。
フランチャイズ展開をすることで、よりたくさんの人に商品を知ってもらい、使用してもらうことができるという企みが、需要と上手く融合している結果といえるのではないでしょうか。
通販サイトによっては、格安で購入出来たり送料無料で購入出来るなど、ユーザーが喜ぶサービスを提供してくれるところもあるでしょう。
Kyusha.netでも使い勝手の良いスナップオンの製品を取り扱っています。旧車のカスタマイズに欠かせない自動車工具は、機能的で質の良いものにこだわってみませんか?

BIG 3


アメ車3大ブランド

アメリカ車は略称でアメ車とも呼ばれ、自動車産業の発展に大きな貢献をしてきました。
アメリカは第二次世界大戦以降、自国の目覚しい発展と共に自動車産業を牽引し、数々の名車を世に生み出してきました。

ゼネラルモーターズ、フォード・モーター、クライスラーの大手3社をはじめ、過去にはパッカードやスチュードベーカー、カイザー=フレーザーなど、多くの自動車メーカーがありましたが、現在は大手3社の合併、吸収、統合などにより事実上この3社がアメリカの自動車産業を独占しています。
こちらではアメ車3大ブランドについてご紹介します。


■ ゼネラルモーターズ

1908年に、ウイリアム・C・デュラントがミシガン州フリントで組織した持株会社がゼネラルモーターズの始まりです。
デュラントは1911年にシボレーの創立にも関わった人物です。
複数のブランドを所有し、シボレーやキャデラック、ビュイック、GMC、過去にはハマー、ポンティアックなど、数多くの名車を販売してきました。
1955年にゼネラルモーターズは、アメリカで最初に年10億ドル以上を稼ぐ企業に成長しました。略称GMとも呼ばれます。

■ フォード・モーター

フォード・モーターは、世界の自動車王の異名や安価な製品を大量生産しつつ、労働者の高賃金を維持するフォーディズムの創造者であるヘンリー・フォード一世が、1903年に創業しました。現在はアメリカ合衆国ミシガン州ディアボーンに本社を置く自動車メーカーです。
T型フォードは、世界で累計1,500万台以上も生産され、産業と交通に革命をもたらしました。
フォードの他にマーキュリー、リンカーンなどが有名な車種です。FoMoCo(フォモコ)と略される場合もあります。

■ クライスラー

クライスラーの歴史は、6気筒エンジン自動車クライスラー・シックスを製造販売する会社として、当時のマックスウェル、チャーマーズ両社を統合の上に、1925年にウォルター・クライスラーが設立したクライスラーコーポレーションから始まりました。
世界初のミニバン、ボイジャーやイプシロン、インペリアル、コルドバなどの名車があります。
上記2社と併せ総称してビッグスリーと呼ばれます。


Kyusha.netは、ホイールやタイヤといったボディをバージョンアップさせる部品、カスタム用品などの輸入パーツや国産旧車の部品を専門的に取り揃えている通販サイトです。
愛車をカスタムしたいとお考えなら、ぜひKyusha.netにてパーツをお買い求めください。

USDM

北米仕様車の特徴と魅力

■ 片山豊とDATSUNが切り開いた北米市場

北米は今でも世界最大の自動車市場で、日本だけではなく世界中の高級車やスポーツカー、一般車が数多く取り引きされています。日本車が北米に進出したのは1950年代ですが、当時は性能の差も歴然でブリキのおもちゃ扱いでした。現地での販売も商社経由の細々としたもので、売る方も買う方もまじめには考えていないというお寒い状況した。こんな状況をブレークスルーしたのが単身現地にのりこんで DATSUN ブランドひいては日本車ブランドの真価を北米市場に知らしめた片山豊でした。片山は綿密な現地市場・競合分析を行い本国日産に対して北米で戦えるクルマのスペックを提示し、その粘り強い交渉に日産も重い腰を上げ DATSUN510・DATSUN240Zといった北米輸出専用仕様モデルが生まれました。両モデルの大ヒットを皮切りに DATSUN は国民的ブランドに成長、1975年にはついに輸入車シェアNo1となります。

■ 北米仕様車、輸出専用モデル誕生の背景

片山が要求したスペックの中でも、特にこだわったのが排気量と価格でした。インターステートが完成し、東西南北が高速網で結ばれ、どこまでも直線が続くハイウェイをべた踏みで走り続けるような環境が到来していました。日本国内では想像もつかない使用環境に適応するには、同じ馬力数でも高回転型ではなく高トルク型、従って高排気量エンジンが不可欠でした。当初難色を示していた本国に対し、片山は最後まで排気量アップを主張。510は 本国1400CC → 北米1600CC、 240Zは本国 2000CC → 北米仕様2400CCという北米専用仕様が生まれました。このこだわりが先述の北米での大ヒットにつながったのは無論、本国も後に本格的なモータリゼーション社会を迎え排気量を上げて北米スペックに追従していくことになるのは周知の通り。ピーキーで繊細なメンテを必要とするメカニズムを排して、その分排気量を上げてトルクフルで快適なロングドライブと耐久性能を重視するというこの仕様変更はDATSUNのみならず、その後の日本車メーカの北米輸出モデルに共通の特徴的スタイルとなりました。

■ 追い風? 日本車いじめ? より特徴的な北米仕様が確立した70年代

70年代、アメリカの自動車社会を揺るがす深刻な問題がたてつづけに起こります。カリフォルニアなどの都市部を中心とする排気ガスによる大気汚染の深刻化、OPECの戦略的石油価格引き上げによるオイルショック、ハイウェイの速度制限、安全性能基準の大幅強化。こうした社会的な要請に適応、対応していく過程でより特徴的な北米仕様が確立されていきます。

■ リトラクタブルヘッドライト

今や海外での取引では常態的に1億円を超えるようになったトヨタ2000GT。ボンネットが前に細長く突き出たロングノーズと低い重心(車高)は当時のスポーツカーの特徴で、そのスタイリッシュな表情にするため、横に細長い形状のヘッドライトが採用されていました。しかし北米ではヘッドライトの高さに最低地上高が定められており、2000GTのオリジナルのライト位置ではその高さ(24インチ)が確保できず、リトラクタブル式ヘッドライトが設置され、オリジナルのヘッドライトはフォグライトに仕様変更されました。リトラクタブルヘッドライトは日産やトヨタなど、その他多くのスポーツカーに多く採用され、ライズアップライトとも呼ばれました。多くの低重心のスポーツカーがこの方法で北米の安全基準に適合しましたが、マンネリ化、安全性、故障しやすいなどの理由から、最近では採用されることがほとんどなくなりました。北米仕様のリトラクタブルヘッドライトを採用した車は、レアなモデルとしての人気は続いています。

■ サイドマーカー

現在にも続く北米仕様車のわかりやすい外観上の特徴にリアの赤色サイドマーカがあります。国内仕様ではあまり採用されていませんが北米では安全基準として義務付けられています。北米仕様のサイドマーカーはフロントがオレンジで、リアがレッドで、フロントについては国内仕様と同様にみえますが、よくみると前後ともに反射板が組み込まれており、国内仕様にはない特徴となっています。夕暮れ時の帰宅ラッシュの渋滞に光る赤いサイドマーカはアメリカのハイウェイ独特の風景です。

■ レッド テールライト

北米仕様車のもう一つの特徴的な違いにテールライトのターンシグナル(ウィンカー)の色があります。日本、ヨーロッパをはじめ、現在ではほとんどの国がブレーキは赤、ターンシグナルはオレンジ(アンバー)が常識ですが、アメリカでは以前は専ら赤が主流で現在も”赤でもいい”とされています。日本国内でも昭和40年前後まではいわゆるワンテールというブレーキ・ターンシグナル兼用で赤一色のテールライトスタイルでしたが、70年代以降は保安基準によりアンバーに完全移行しました。いまだにかたくなに赤一色のテールライトが残るところに良くも悪くも保守的でドメスティックな方のアメリカらしさを感じます。それだけに、”北米仕様っぽさ” ”アメリカ臭さ” を出すときにはサイドマーカと並んで重要なパーツとなります。

■ 5マイルバンパー

1972年に乗用車の衝突安全性能要件を定めたFMVSS215という基準がアメリカで施行されました。この基準では時速5マイルで衝突したときに車体に主たる損傷が生じてはならない、とするものでした。5マイルといえば、駆け足ぐらいのスピードですから、衝突ともなればかなりの衝撃となります。特に作りが華奢(きゃしゃ)だった日本車は対抗に苦慮することになりました。登場した当初は、車両のデザインが5マイルバンパーの装着を想定をしていなかったため、車体から大きく出っ張るなど、デザインの上でも巨大なバンパーの存在感が半端なく、”デカバンパー” ”5マイルバンパー” に加え、そのルックスから”(いかりや)長介バンパー”と呼ばれることもあります。施行当初は急速にシェアを伸ばしていた”日本車いじめ”とウワサされましたが、慣性重量の大きいアメ車も適応は容易ではなく施行直後のモデルをみるとやはり結構ごついバンパーを装着しています。

しかし、これだけ巨大なバンパーを装着してもまだ基準をみたせず、このバンパーにはもうひとつ国内仕様にない機構をそなえています。そのまま直接ボディに固定するのではなく、衝突時の衝撃を吸収するショックアブソーバが組み込まれているのです。よく見ると巨大なだけでなく、ボディから不自然にせり出して装着されていることに気が付くかと思います。デザインの調和性も重量配分もあったものではないわけですが、そんな小さなボディにデカバンパーで武装して屈強なアメ車と渡り合った日本車の歴史を思うと、逆にとてもけな気で愛おしく感じられてきます。なお、アメ車も対応に苦しんだこともあっては1982年には衝突基準となる速度が5mphから2mphに引き下げられ、デカバンパーの時代は終息することになりました。

■ ドアミラー

現在では日本車の国内仕様でもほとんどがドアミラーですが、昭和生産ぐらいまで、ほとんどの国産車はフェンダーミラーが主流でした。アメリカの基準では従来からドアミラー装着を義務づけていますが、義務付けているのは”運転席側の”ドアミラーのみで、助手席側は任意です。この基準にかかわらず、現在ではほとんどの新車は左右にドアミラーがついていますが、1970年代から1980年代前半くらいまではアメ車も日本車の輸出仕様も基本的には運転席側ドアミラーのみで助手席側はオプション設定でした。1970年前後のモデルではオプションどころかパーツの設定自身がないものもの少なくありません(DATSUN240Z、DATSUN510など)。当時の雑誌広告やカタログなどはみなドライバーサイドのミラーのみなのが確認できます。

もうひとつ、アメリカではミラーのレンズ形状についてNHTSAが定めた基準があり、ドライバー側のミラーは平面でなければならいことになっています。助手席側には規定がありませんが凸面(広角)鏡の場合には距離感を錯覚しないように「OBJECT IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR(実際にはもっと近いよ)」という警告表示が義務付けられています。さすがは訴訟大国アメリカ、日本ではありえないような判決が判例として採用されることもあり、対策としてそこまで書くかという注意書きが多く存在します。これも現代的なアメリカらしさの表れているポイント。

■ フロントグリル フロントターンシグナル(ウィンカー) デザイン

これはDATSUNにおいてもっとも顕著になったデザイン傾向でしたが、5マイルバンパーによって、バンパーが巨大化すると見えにくくなったパーキングランプをフロントグリルに埋め込むというデザイン変更が北米仕向け仕様の定番となりました。また、1970年代後半からはランプ位置の変更だけでなく、グリルのデザインそのものも北米仕様専用のモノが使われるようになり、5マイルバンパーやターンシグナルの移動などと合わせて国内仕様とは大きく雰囲気の異なるフェイスリフトが施されていきます。

■ モデルのネーミング・エンブレム・ブランド

これもDATSUNの初期の販売戦略に顕著な特徴で、片山豊の慧眼によるところが大きいのではないかと思いますが、北米での販売では個別の車両のネーミングよりもDATSUNというブランドの浸透が重視されました。このため、フェアレディZはDATSUN240Z、ブルーバードはDATSUN510、サニーはDATSUN1200とリバッジされて、エンブレム類も車名に変えて”DATSUN”表記で統一されました。モデル名は無機的、記号的な数字表記で表現されました。この結果、DATSUNのブランドは広く浸透し、ある意味では日産よりも有名な国民的ブランドとなりました。片山が北米日産を退いて後、日産は北米でのブランドをNISSANに統一してみたり、かといえばインフィニティブランドを立ちあげたりしましたが、その結果は。。。

■ まだまだある隠れキャラ

他にも、排ガス浄化装置(特に基準が厳しかったカリフォルニア向けは専用仕様だったりします)やワイパースイッチの位置、スピード、トリップメータのマイル表示、タイヤサイズ、バッテリ容量、シートベルト方式、ラジオ周波数、テールライトの反射板、こーしょんプレートなどなど、知れば知るほど細かな仕様の違いが見えてきます。メンテナンスをしながら、カタログやカーショウなどで見比べながら、そんな違いを発見していくのも北米仕様モデルの楽しみ方のひとつではないでしょうか。

Last American Hero

アメ車が好きになったきっかけ

車は、時代と共に燃費や性能が良くなっています。
昔はほとんど乗っている方がいなかった軽自動車でも、燃費が良い・小回りが利くという理由で購入する方が増えています。
しかし最新の車よりもアメ車の方が好きで、古い年代のアメ車に乗っている方もいます。
高性能で低価格な国産車がたくさんある中で、アメ車の人気が根強いのは何故でしょうか。
アメ車に乗っている方や、アメ車にあこがれている方が、どのようなきっかけでその魅力に夢中になったのかを紹介していきたいと思います。


■ 映画の影響

アメリカ映画のヒット作品には、激しいカーチェイスシーンや、カースタントのシーンが入っている作品がたくさんあります。
アメリカ映画のカーチェイスやカースタントのシーンや荒野を走り抜けるアメ車を観て影響され憧れて、アメ車が好きになりアメ車オーナーになった方も多いです。
それだけアメ車の外観というのは、多くの人を虜にしているのです。
映画は、人の感性や思想に強い影響を与えるものなので、アメ車に限らず映画がきかっけで好きになったモノがある方は多いと思います。

■ アメ車のデザインと性能

アメ車最大の魅力といえば、迫力抜群の「デザイン」にあります。重要感のあるボディサイズや独創的なデザインが多くの方を惹きつけています。
また太い「トルク」が生み出すパワーにも魅力があることを見逃してはなりません。
大排気量が排出するパワーというのはアメ車の特徴です。低い回転数ながらも力強いエンジンは魅力の一つとなります。

■ 知人や親類の影響で

親や近所に住んでいる方がアメ車を所有していたのがきっかけで、アメ車が好きになった方もいらっしゃいます。
身近な所にアメ車があると乗車する機会もありますし、ホイールなどの部品交換やカスタムしている様子を観察することもあり、アメ車が好きになるきっかけになることがあります。

■ 試乗

車を買う時ほとんどの人が試乗をしますが、国産車を探していた人が、たまたまアメ車に試乗したのがきっかけでアメ車が好きになってしまうことがあるそうです。
実際にルックスの格好良さや試乗体験をして、スペックでは言い表せない独特の乗り味、存在感を目の当たりにすると、圧倒・魅了される人が絶えません。
下取り価格やカタログスペックの比較をすると決して有利とは言えませんが、性能や燃費や下取り価格だけが、車選びの条件ではないことに気づかせてくれる車がアメ車です。

それはちょうど人生が年収や地位の高低だけで比較することができないことと似ています。
アメ車には、実際に乗ってみないと分からない魅力が、このような形でありますので、アメ車に興味が湧いてきたばかりの人は、一度アメ車にぜひ試乗してみてください。
試乗で広さや乗り心地を体感すれば、どんどんアメ車が好きになってくると思います。

■ 高性能で低燃費

アメ車といえば、燃費が良くないというイメージをお持ちの方もいらっしゃいますが、近年においては既存のアメ車の他にも、日本車の良い点である「維持費」や「走行性能」を取り入れたアメ車も販売されています。
そのためアメ車を選択する幅が増え、より多くのファン獲得に繋がっています。
維持が大変というネガティブイメージは、もはやアメ車には無いといっても良いでしょう。


ひょんなことからアメ車と出会って好きになる人も多いようです。
今はアメ車と無縁の生活をしている人でも、いつかアメ車に乗る機会があるかもしれません。
Kyusha.netでは、アメ車の輸入パーツ販売や情報収集のサポートなどを行っています。
アメ車に関する情報が欲しい方や、輸入パーツを探している方は、Kyusha.netをご利用ください。

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旧車をノスタルジーの対象で終わらせない

日本が経済的に急成長を遂げた昭和30年〜40年代、クルマは豊かさや憧れの象徴として人々を魅了する存在でした。 当時と比べ、今日クルマの性能や信頼性は飛躍的に進歩しました。しかし皮肉なことに便利で優等生になりすぎた今時の新車を”つまらない”と感じる人は少なくありません。 現代の新車には無い個性と魅力にあふれた昭和の名車達を、人々はいつしかこうと呼ぶようになりました – 旧車。現代にあって旧車が魅力的にうつるのは、日本がまだチャレンジャーでありハングリーだった頃のそうした精神性や思い出とともにあるからなのかもしれません。

大げさでもなんでもなく、旧車は技術立国日本の先人達のトライアンドエラーや、そこで培った不屈のスピリットを後世に伝えていくための重要な文化財だとKyusha.netは考えています。だとすれば、そしてだからこそ、当時を生きた人たちだけのノスタルジーの対象に終わらせてはいけないと考えます。若い世代や後世にその魅力、価値、楽しさを伝えていくべきものだと考えます。また、人々の生活や娯楽と共にあった旧車は、文化財だからといって博物館にかざっておくだけでは、その本当の魅力が伝わりにくいモノでもあります。

Kyusha.netは困難になりつつある旧車の維持管理のための部品調達や情報収集をサポートすると同時に、その楽しみ方やイベントなどの情報交換の場所を提供することをめざすウェブサイトです。 また、同時に旧車の文化的価値が社会的にも認知され、プロフェッショナルな事業やマーケットとして成立し存続、発展していくことができる環境づくりを支援します。

Bruco Garage & Industrials


ガレージだって自分のスタイルや価値観を表現したい

ビンテージな機械(クルマ、バイクに限らない)と上手につきあっている人の多くは、使いなれた工具や道具を持っていて、それを無駄なく使う。それは必ずしも高級とは限らないし、高性能ともかぎらない。工具の数や種類もまちまち。ただそれぞれの経済力や技術力、暮らし方にあった、つまり身の丈にあった機械との付き合い方を心得えて、それを自然体で実践している。結果、無理なく長く続く。

 

アメリカ国内の老舗ブランドのプロダクトを厳選

BRUCO Garage & Industrials では そんな使い慣れた道具、オーナと調和した道具の延長上としてのガレージづくりに欠かせないプロダクツを厳選、おもに北米市場で永きにわたり支持されてきたスタンダードなデザインのツール、家具、デバイスを輸入・販売している。バイヤーやスタッフが実際に業務・プライベートで使用して自身と思い入れをもってお勧めするブランドや製品だけをセレクトしたラインアップは一見の価値あり。サイトでは製品のスペックや性能紹介だけでなく、その製品の開発コンセプトや歴史的なバックボーンにも言及したユニークなアプローチも取扱い製品へのこだわりの現れ。

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自動車工具の購入は通販で

■ 自動車DIY

中古の愛車のメンテナンスを自分で行うなら、様々な種類の自動車工具を購入しておくとスムーズに作業ができます。
価格面・工具点数の充実面で、満足の内容となっているフルセットなどを購入することもおすすめですが、より精密な自動車メンテナンスを行うのであれば、それなりの自動車工具を揃える必要があります。1点ずつ厳選したものを購入するのが理想です。

また、自動車工具のブランドにこだわらなくても良いとお考えでしたら、フルセットを購入してから使用頻度の高いものを単品購入するのもおすすめです。


■ 自動車工具を選ぶポイント

DIY整備であってもプロ整備であっても、使用する工具の精度が重要なことには変わりありません。
ネジや部品などが破損してしまうと、ホームセンターで気軽に購入できるものではなく、注文して入荷を待つなど時間と手間がかかってしまいます。値段にかかわらず、とりあえず性能を重視することが一番です。
その次に重要なのが強度や安全面です。作業中に大きな負荷がかかっても破損しにくいこと、そして長い間使用するチャンスがなくても錆びたりしないというポイントは大きな判断基準になります。


■ 安心のブランド

最近では、送料無料などの特典がついた格安通販サイトもあり、以前よりも様々な商品が購入できるようになりました。
おすすめできる自動車工具ブランドとその特徴を紹介します。

●KTC
国内ブランドでは一番と言えるほどの大手で、プロから一般まで幅広い層に人気です。
とにかく豊富なラインナップで、比較的リーズナブルに揃えることができるのも魅力ではないでしょうか。

●コーケン
1946年創業の、ハイクオリティでありながら汎用性のある一流ブランドです。
自動車整備についての研究が、ひとつひとつの工具に見事に反映されているのが特徴です。

●シグネット
世界中のプロが絶賛するギアレンチが代表作で、1990年に創業された新しいブランドです。
使い勝手が良く、高性能でスタイリッシュ。なおかつリーズナブルな工具をお探しの方におすすめしたいラインナップです。

●スナップオン
ランチェットハンドルやソケットを世界で初めて採用し普及させた、世界で一番有名なブランドと聞けば、誰もが口を揃えて答えるのがスナップオンです。
高級輸入品という位置づけですが、その価格はずっと使い続け後世にも受け継がれるほどの永久保証商品であるからこそなのです。
Kyusha.netは、そのスナップオンの商品を格安で取り扱っている通販サイトです。

Snowcrash


外国車に乗るメリット

「外国車」とは、その名の通り外国メーカーが生産を行っている車のことです。
日本においても、様々な国の外国車を見かけることでしょう。
有名なのがドイツやフランス、アメリカなどの欧米のメーカーです。
各国の特色を活かしたデザインや性能の車が、日本にも数多く輸入されています。
特にアメリカは世界有数の自動車産業国です。
現代風なスタイリッシュなデザインのアメ車も良いのですが、今でも根強い人気を誇っているのがアメリカンビンテージの雰囲気を残すビンテージカーです。

アメリカでガレージはただ単に自動車を格納しておく場所ではないようです。
ガレージセールなどで、家庭で使わなくなった雑貨や家具を売るといった習慣が残っていますし、DIYに勤しむ場としても使われています。
そのような雰囲気が自動車にも表れています。
しかし、アメリカ産の車に対して、メンテナンス費用がかかるといったネガティブなイメージを持つ人は多くいるでしょう。
実はメリットも数多く存在します。
こちらでは自動車産業大国アメリカの外国車に乗るメリットについてご紹介をさせて頂きます。


■ 走行性能が高い

このポイントについては、メーカーや車種によって違いがあります。
ですが、多くのメーカーで販売されている外国車は走行性能が非常に高いです。
一般的に国産車のほうが走行性能が高いと思いがちですが、外国車も国産車に負けず劣らずの性能です。
特に、普段から外国車に乗っている人は、走行性能の高さを認識しているようです。
車を乗る際、走行性能の高さは重要ではないでしょうか?

■ とにかくオシャレ

外国車に乗る最大のメリットに挙げられるのが、とにかく「オシャレ」だということです。
もちろん外国車の中にも地味な車は存在しますが、国やメーカーの違いにより、我々日本人からすると変わったデザインに写り、それが「オシャレ」だと感じているわけです。
現在では中古の外国車も増え、自動車を選択する幅も増えています。
あなたのこだわりに見合った外国車を見つけることが可能となっているでしょう。

■ ステータスを得られる

一昔前まで、日本において外国車を乗るということは、一種のステータスでした。
今では数多くの外国車が日本に輸入されることにより、道路を走る姿をよく目にするようになりました。
しかし、それでも外国車を街で見かけると振りかえってしまうものです。
それはまだ、外国車に乗ることがステータスとして残っているといえるのではないでしょうか?